城下町の臼杵市の旅

臼杵石仏へ行く途中で臼杵市を観光した。古い史跡が点在しているが、新規に作られたものも多く、全体的に枯れていないという感じである。時代が経てば少しはよくなるので、将来に期待したい。
臼杵市について
臼杵市は大分からJR日豊本線で45分程度下ったところにある静かな町で、臼杵藩の城下町として栄えた。現在も臼杵城址や古い建物が残り昔の面影を残す雰囲気のある城下町となっている。また、近くには国宝となっている臼杵石仏がある。
別府や大分ではSuicaが使用できたが、臼杵駅ではまだ使用できなかった。現金で清算し、帰りにSuicaで乗車した別府に立ち寄り臼杵駅でもらった証明書を見せ修正してもらった。
臼杵城址
臼杵城は戦国時代に大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に城を築いたことに始る。江戸時代は関ケ原の戦いで功績のあった稲葉貞通が入り臼杵藩を名乗った。
臼杵駅から10分ほど歩くと臼杵城址である。但し、この方面から城址に入ると昔は船着き場であったところで抜け道から城址に登るような感じである。
城を島の岸壁の上に築いたのであろうが、丘の上の突き出したところに卯寅口門脇櫓が建っている。岸壁はコンクリートで補修された形跡が見られ、少し趣きは落ちる。
最盛には三重の天守閣と31基の櫓があった比較的大きな城であったが、明治時代に入り、各地で不満分子が反乱することを恐れたのか、明治政府は一部の建物を残し取り壊している。周囲の海も完全に埋め立てら、現在は丘の上の公園として活用されている。
現在、当時物が残っているのは石垣、空堀に、二の丸に畳櫓が、本丸に卯寅口門脇櫓だけである。

丘の上に登り本丸のあった場所には石垣だけが残っている。この上に天守でもあったのであろう。

本丸のあった場所は現在護国神社となっており、歴代藩主と西南戦争で亡くなった人が祭られている。一部庭園のようになっているが、本丸御殿の庭のあとでないかと思う。

二の丸大手門に当たる大門櫓が木造で復元されている。

正門方面から少し下ったところに二の丸がのあった。この所に畳櫓が残っている。

現在は建設当時の海に囲まれた城との面影はないが、櫓や石垣が不規則で並んでおり、丘の上に地形を生かした建てられた野生味のある城だなとの印象である。当時の物も少し残っており、公園を散策する気持ちで訪れると良いと思う。続100名城にカウントされている。
稲葉家下屋敷と旧平井家住宅
臼杵城址から5分ほど歩いたところに、稲葉家下屋敷が残っている。

明治時代に建てられた屋敷であるが、昔の大名の生活を偲ぶには十分である。

二王座歴史の道について
二王座付近には狭い道に武家屋敷や古いお寺が残っており、城下町として臼杵を代表する道である。
所々に古い建物が残っているが、中には最近建設されたものもあり、全体的にまだ調和していないという感じである。



龍原寺三重塔
江戸時代に建てられた三重塔である。なかなか趣がある。

臼杵市の観光は臼杵摩崖仏の観光がメインであったので、かなり駆け足で見て回った。三重塔のところからバスに乗って石仏方面に行った。バスの本数が少ないので、事前によく計画しておくことが必要である。
クラブツーリズムのツアー記録
本来のツアーは今日は高千穂方面であるが、バスの乗車時間が長いことから我々は敬遠し、臼杵方面の観光に切り替えた。
中間日に実施されるツアーはすべて旅行代金に含まれているがオプション扱いになっており、キャンセルするのは自由である。