写真素材の多い大原三千院

写真素材の多い大原三千院

往生極楽院全景

三千院(さんぜんいん)は京都の奥座敷大原の里にある天台宗の門跡寺院である。大きな寺院ではないが、苔に覆われた庭と往生極楽院、石仏や花など写真の被写体になる場所は多い。

三千院の住所と行き方

住  所:京都市左京区大原来迎院町540
電  話:075−744−2531

大原バス停 徒歩 10分

三千院は京都の市街地から遠く離れた大原の里にある。周囲は奥深い山里で,昔は隠棲の地として知られたところである。ひなびた里との印象があるが、現在は観光地として人気が高くなり、その印象は薄れつつある。

大原までは京都駅から京都バスで約1時間。このバスは三条京阪までは繁華街を通るので、四条通りなど主要な繁華街からも乗ることができる。三条京阪からは鴨川沿いを、出町柳からは高瀬川沿いを走る。この道は若狭街道といわれた重要な道路で、京都から若狭湾の小浜まで通じている。昔この道を通り若狭湾の海産物が都に運ばれたので、鯖街道とも言われている。
地下鉄の終点国際会館駅からもバスの便はある。このルートで行くのが時間が読めて一番便利である。 国際会館駅から大原まではバスで22分である。

大原には三千院と寂光院の二つの観光地がある。二つはバス停を挟んで東西の異なった山すそにあるため、両方を観光する場合は30分程度歩かなければならない。

三千院はバス停から10分程度歩かなければならない。参道は川沿いの狭い道で風情がある。門前に着くと城郭のような石垣がめぐらされ、大寺院である雰囲気が漂ってくる。

三千院の門前
三千院の門前

三千院について

三千院は天台宗の寺院で山号は魚山。本尊は薬師如来、開基は最澄である。最澄は空海とともに日本の仏教の礎となる平安仏教を築いた高僧であり、寺として品格を感じる。

お寺の場所は最澄が草庵を結んだ比叡山から始まった。その後、近江坂本、そして京都市内を幾度か移転しいる。それに伴い寺の名前も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わっている。平安後期以降からは皇子皇族が住職を務める門跡寺院となっている。

明治の初め大原の里に移転してからは現在の名前の三千院に改めている。また、境内に往生極楽院を移築し阿弥陀堂としている。その後も金色不動堂や観音堂が整備さて現在に至っている。

三千院の御殿門
三千院の御殿門

正門である御殿門。梶井門跡三千院と往生極楽院の二つの表札が掲げら、重要な二つに寺院があることを示している。

三千院の聚碧園

三千院には二つに庭園があるが、客殿から見えるのが聚碧園である。

聚碧園
聚碧園

宸 殿

三千院の本殿に当たる場所である。中には本尊である薬師瑠璃光如来が祀られているが秘仏となっている。現在は工事中である。写真は以前に撮影したものである。工事の前は宸殿から有清園に降りていたが、今回は出口から入っている。

三千院宸殿
三千院宸殿

往生極楽院について

三千院の観光の目玉である往生極楽院は,平安時代の後期久安4年に高松中納言実衡の妻である真如房尼が夫の菩提を弔うために建立したお堂で本来は三千院と無関係である。明治時代になり三千院が大原に移転してから境内に取り込まれた形になっている。 

内部には国宝の阿弥陀三尊像(阿弥陀如来と両脇に侍像)が安置されている。この仏像は堂内に入り間近で鑑賞することができる。

芝と往生極楽院
芝と往生極楽院

往生極楽院の南側にある朱雀門。極楽院を本堂としていた頃は正門である。

三千院の朱雀門
三千院の朱雀門

有清園とわらべ地蔵

宸殿の前に広がっているのは有清園である。池泉回遊式庭園とのことであるが苔が印象に残る。苔むした境内の片隅に小さな石仏が置かれている。苔むしてきて格好の写真の被写体になっている。下の写真はトリミングしたものであるが、精巧な写真を取る場合は望遠レンズが必要である。

有清園
有清園
わらべ地蔵
わらべ地蔵

金色不動堂と観音堂


有清園のわらべ地蔵がある辺りから上に登る道がある。往生極楽院より一段高い場所に金色不動堂、更に高い場所に観音堂がある。 いずれも平成に建てられた新しいお堂でまだ風格が備わっていない。

鎌倉石仏とおさな六地蔵 


金色不動堂より上にも境内が広がっている。その一画の少し下ったところに鎌倉石仏とおさな六地蔵が安置されている。どの石仏もなかなか趣きのがある。

三千院の近くには來迎院や勝林院など幾つかに観光地がある。